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東京高等裁判所 昭和63年(ネ)3341号 判決 1992年11月16日

控訴人 水谷慶司

坂口隆二

右両名訴訟代理人弁護士 小林辰重

大山忠市

大山皓史

被控訴人 株式会社坂口商会

右代表者代表取締役 坂口重雄

右訴訟代理人弁護士 早川忠孝

河野純子

登坂真人

右訴訟復代理人弁護士 濱口善紀

主文

一  原判決主文第一項及び第二項を次のとおり変更する。

1  被控訴人は、控訴人両名に対し、それぞれ被控訴人会社の額面普通株式一万〇四四〇株の株券を発行して交付せよ。

2  被控訴人会社の昭和六二年四月一〇日の臨時株主総会における訴外坂口ゆり、同坂口真理子、同中谷隆吉及び同和田有三を取締役に選任する旨の決議を取り消す。

二  被控訴人と控訴人両名との間において、控訴人両名がそれぞれ被控訴人会社の額面普通株式一万〇四四〇株を保有する株主であることを確認する。

三  被控訴人は、控訴人両名に対し、被控訴人会社の株主名簿に控訴人両名がそれぞれ同会社の額面普通株式一万〇四四〇株を保有する株主であることを記載せよ。

四  訴訟費用は、第一、第二審とも被控訴人の負担とする。

理由

一  被控訴人会社の存在、営業目的及びその発行済み株式数

被控訴人会社は昭和二七年七月五日に時計付属品、身辺細貨の販売及びこれに付帯する一切の業務等を営業目的として設立された株式会社であること、被控訴人会社の設立時における発行済み株式数は一〇〇〇株(一株の額面金額は五〇〇円)であり、その資本金額は五〇万円であったが、その後控訴人らの主張するとおり昭和三〇年八月一三日、同四三年一〇月一三日及び同四五年七月一六日の三回にわたって新株が発行され、昭和四五年七月一六日以降における被控訴人会社の発行済み株式数は三万六〇〇〇株(一株の額面金額は右同様五〇〇円)となり、その資本金額は一八〇〇万円となったことは、いずれも当事者間に争いがない。

二  被控訴人会社の株主

成立に争いのない≪証拠省略≫(なお、以上の書証のうち写で提出されたものについては、その原本の存在も争いがない。)、被控訴人代表者尋問の結果によれば、被控訴人会社の設立時から現在に至るまでの同会社の株主名簿ないし株主総会出席者名簿等に記載された株主(株式引受人)の変遷の状況は、別紙≪省略≫記載のとおりであって、その特定時点ごとにおける株主数は、少ないときでも一〇名、多いときには二八名にも上っていることが認められる。

しかしながら、成立に争いのない≪証拠省略≫、控訴人水谷本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる≪証拠省略≫、証人竹本貞夫、同廣田禮子の各証言、控訴人水谷、同坂口各本人及び被控訴人代表者各尋問の結果によれば、右の株主名簿ないし株主総会出席者名簿等に記載された株主のうち、坂口重雄及び控訴人両名の合計三名を除いたその余の株主は、少なくとも右三名の間で被控訴人会社の経営ないしその株式の保有数等をめぐる紛争が激化するに至った昭和六〇年ころまでは、いずれも単なる名義上の株主であるにすぎず、実質上の株主は右三名のみであったことが認められる。そして、被控訴人代表者尋問の結果によれば、被控訴人会社の設立以来終始同会社の代表取締役であった坂口重雄も、昭和六三年六月七日に原審で行われた代表者尋問中における裁判官からの質問に対し、その時点における被控訴人会社の実質上の株主は右三名のみであることをはっきりと承認していることが認められる。従って、少なくとも昭和六三年六月七日当時までにおける被控訴人会社の実質上の株主は、坂口重雄及び控訴人両名の合計三名であったというべきであり、これに反する被控訴人の主張は採用することができない。

(なお、仮に坂口重雄がその後その保有する株式の一部を他に譲渡するなどしたため、右三名以外の第三者が被控訴人会社の株主として加わっているとしても、そのことが控訴人らの本件各請求の結論に影響を及ぼすものでないことは、後記三の4において説示するとおりである。)

三  株主による株式の保有形態及びその保有割合

1  そこで、被控訴人会社の実質上の株主である坂口重雄及び控訴人両名による同会社の株式の保有形態及びその保有割合について検討するに、前掲≪証拠省略≫(なお、以上の書証のうち写で提出されたものについては、その原本の存在も争いがない。)、控訴人坂口本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる≪証拠省略≫、証人竹本貞夫、同廣田禮子の各証言、控訴人水谷、同坂口各本人及び被控訴人代表者各尋問の結果によれば、次の各事実を認めることができる。そして、この認定に反する≪証拠省略≫の各記載の各一部並びに証人竹本貞夫、控訴人水谷、同坂口各本人及び被控訴人代表者の各供述の各一部は、その余の各証拠に対比して、採用することができない。

(一)  坂口重雄及び控訴人両名の父親である訴外坂口又次郎は、大正時代から時計付属品、身辺細貨の販売等を目的とする個人企業の坂口商店(坂口又次郎商店と称したこともある。)を経営しており、戦時中は一時その営業を中止したが、戦後は、長男である坂口重雄の協力を得て、その営業を再開した。そして、昭和二四年には、二男である控訴人水谷、三男である控訴人坂口も、相前後して、それぞれの就職先を止めて坂口商店に入店し、その営業活動を分担するようになった。しかし、坂口又次郎は、その間の昭和二四年七月二九日に死亡した。なお、坂口又次郎が死亡した当時の右兄弟三名の年齢は、坂口重雄が二九歳、控訴人水谷が二五歳、控訴人坂口が二二歳で、いずれも未だ独身であった。

(二)  坂口又次郎の死亡後、坂口重雄及び控訴人両名の兄弟は、坂口商店の営業財産を分割することなく引き継ぎ、三名が分担、協力してその営業に従事し、進駐軍のPXへの銀製食器の販売や密輸時計の販売等により莫大な利益を上げるようになったが、その余剰利益は、原則として右三名には配分せず、これを、坂口重雄名義の預金のほかに、架空名義の隠し預金として、積み立てていた。そして、右三名は、その後、坂口商店の営業成績が発展したのに伴い、金融上及び税務対策上等の便宜を考慮し、昭和二七年七月五日に株式会社である被控訴人会社を設立して、坂口商店の営業財産の一切を同会社に承継し、以来、会社企業としてその営業を継続、発展させることになった。

(三)  被控訴人会社の設立時における発行済み株式数は一〇〇〇株であり、その資本金額は五〇万円であり、右株式の引受人は坂口重雄及び控訴人両名のほか、単なる名義上の引受人をも含めて七名であったが、その払込金は、それらの引受人からは全く徴収せず、すべて坂口商店の余剰利益を積み立てた前記の預金の中から支払われた。そして、右会社の設立後は、坂口重雄が代表取締役に、控訴人両名がそれぞれ取締役に就任し、この三名が右会社の経営者としてその業務を分担し、互いに協力してその営業活動を行い、それによって生じた余剰利益金は、坂口商店時代と同様、原則として右三名には配分せず、坂口重雄名義の預金と架空名義の隠し預金とに積み立てて、蓄積していた。なお、右会社の取締役には、右三名のほか、姉である訴外廣田禮子、その妹智恵子の夫である訴外竹本貞夫及び従業員である訴外三浦茂雄も就任していたが、同人らは単なる名義上の取締役にすぎなかった。また、控訴人水谷は、右に述べたとおり終始右会社の営業活動に従事していながら、昭和二八年七月五日から同三九年一月一七日までの間、登記簿上では取締役から外されているが、その理由は明らかではない。

(四)  被控訴人会社の設立後、同会社の営業成績はますます発展し、それに伴い、前記のとおり昭和三〇年八月一三日、同四三年一〇月一三日及び同四五年七月一六日の三回にわたって新株が発行され、発行済み株式数は順次三〇〇〇株、一万二〇〇〇株、三万六〇〇〇株となり、資本金額も順次一五〇万円、六〇〇万円、一八〇〇万円となったが、その払込金はすべて被控訴人会社の余剰利益金を積み立てた前記の預金の中から支払われた。しかし、反面、昭和四六年ころまでの間においては、実質上の株主である坂口重雄及び控訴人両名に対しても、原則として、利益金の全額を配当することはなかった。そして、その間における右三名の株主名簿上の保有株式数の推移は、別紙≪省略≫記載のとおりであるが、右三名の保有株式数の全部を合計しても、発行済み株式総数の二〇パーセントないし三二パーセントにすぎない。これは、被控訴人会社が同族会社としての色彩を薄め業界内での信用を高めようとして名義上の株主の保有株式数を多くしたためである。

(五)  昭和四六年春ころ、東京国税局の被控訴人に対する税務調査が実施された結果、前記の隠し預金が摘発され、それが被控訴人会社の簿外預金として課税の対象とされることとなったため、坂口重雄及び控訴人両名は、協議の末、右摘発を免れた隠し預金についてもこれを右三名に配分するとともに、その後は、右会社の利益金もその全部を右三名の株主に配当することにした。そして、右利益金の配当の割合についても種々協議した結果、少なくとも昭和四八年一二月三〇日ころ以降は、その割合を坂口重雄が四二パーセント、控訴人両名がそれぞれ二九パーセントとすることを合意した。その結果、その後昭和五九年度分までは、右合意に基づく配当割合に従い、右三名に対する右会社の利益金の配当が実施された。

(六)  なお、その後も、被控訴人会社の株主名簿上においては、依然として単なる名義上の株主にすぎない者もそのまま株主として記載されている。しかし、右の名義上の株主に対しては、少なくとも昭和六一年ころまでは利益金の配当は全くなされておらず、単に昭和五二年ころから形式上の利益金配当額に対応する税金相当額の金員が支払われているだけである。また、その後も、被控訴人会社の株券発行の手続はとられていない。もっとも、被控訴人会社の代表者である坂口重雄は、昭和五七年一一月ころに同会社の株券(正確には株券の形式を具備した文書)を作成し、一部の名義上の株主に対しこれを交付したが、実質上の株主であり、取締役でもある控訴人両名に対しては、昭和六一年一一月ころに至るまで右株券作成の事実すら知らせていないし、本件株券発行引渡請求訴訟が提起された昭和六二年三月までの間には右株券交付の手続をとっていない。

(七)  ところで、坂口重雄と控訴人両名との間では、昭和六〇年ころから、被控訴人会社の経営ないしその株式の保有数等をめぐる紛争が激化するに至り、昭和六一年一二月一七日に被控訴人の本件訴訟代理人である早川忠孝弁護士も立会して開催された右会社の取締役会の席上で、控訴人両名は、坂口重雄に対し、右会社における右三名の株式の保有割合が前記のとおり坂口重雄が四二パーセント、控訴人両名がそれぞれ二九パーセントであることを承認するとともに、控訴人両名に対し右割合に相当する株数の株券を交付するように要求した。これに対し、坂口重雄は、右席上で、右三名の株式の保有割合が右のとおりであることはこれを承認する旨はっきり返答した。しかし、同人は、控訴人両名が要求する株券の交付やそれに伴う株主名簿の名義の変更の問題については、税務上の問題その他の法律問題があるので、専門家に相談しなければならないが、控訴人らの要望にそうように処理したいとのみ答えた。しかし、右問題は、その後も未解決のままで放置されている。

2  以上に認定の各事実によっても、被控訴人会社の設立時から昭和四八年一二月三〇日ころまでの間における坂口重雄及び控訴人両名の実質上の株主による被控訴人会社の株式の保有形態及びその保有割合は必ずしも明らかではないし、本件の全証拠を検討しても、これを確認するに足りる的確な証拠は存在しない。

しかしながら、右に認定の各事実を総合して考察すれば、少なくとも昭和四八年一二月三〇日ころ以降においては、坂口重雄及び控訴人両名の実質上の株主間の合意により、右三名は、坂口重雄が右時点における発行済み株式数の四二パーセント、控訴人両名がそれぞれ同発行済み株式数の二九パーセントの割合で、かつ、準共有の形態ではなく、個別保有の形態で、被控訴人会社の株式を保有することになったものと認めることができる。そして、右に認定の各事実によれば、右合意によって定められた右三名の間の株式の保有割合は、被控訴人会社の前身である坂口商店の時代から右合意の成立した時点までの間における右三名の役割や営業活動に照らして、合理的なものであるということができるから、右合意は、右の間における右三名の役割や営業活動を考慮してなされたものであって、それまで必ずしも明確ではなかった、右三名の被控訴人会社の設立又は新株の発行に伴う同会社の株式よ原始取得者としての保有割合を、この時点で遡及的に確定する趣旨の合意であったと解するのが相当である。なお、右合意の成立後、現在に至るまでの間に控訴人両名がその保有する被控訴人会社の株式を譲渡等により他に移転した旨の主張、立証はない。そうすると、控訴人両名は、右合意のなされた時点から現在に至るまで、それぞれ一万〇四四〇株の被控訴人会社の株式を、いずれも準共有ではなく、個別保有の形態で保有しているものというべきである。

3  ところで、前記認定のとおり、被控訴人会社の株式の払込金は、同会社の設立時においても、その後の三回にわたる新株の発行時においても、株式の引受人からは徴収せず、すべて坂口商店ないし被控訴人会社の余剰利益金を積み立てた隠し預金の中から支払われていることからすると、そのようにして被控訴人会社の株式を原始取得した坂口重雄及び控訴人両名は、準共有の形態で、その株式を保有していたと解すべきではないかとの疑問も生じないわけではない。

しかしながら、一般に株式の準共有は、数人による株式の共同引受、数人による株式の共同相続、発起人又は取締役による株式引受担保責任の負担等の特段の事情がある場合に生じ得る株式保有の例外的形態にすぎないこと、株式の準共有の場合には、商法二〇三条の規定によりその準共有者の中から株主の権利を行使すべき代表者一人を選定しなければならないのであるが、本件においては、その全証拠を検討しても、坂口重雄と控訴人両名との間でそのような代表者選定の手続が履践された形跡は認められないこと、そして、その他に、右三名が被控訴人会社の株式を準共有の形態で保有してきたと認めるに足りる的確な証拠はないこと、却って、前記認定の株主名簿や株券の各記載を見ると、これらはいずれも、被控訴人会社においては、その株主による株式保有の形態が準共有ではなく、個別保有であることを当然の前提として作成されていることが窺われることなどから考えると、右三名による被控訴人会社の株式保有の形態は、前記認定のとおり、準共有ではなく、個別保有であったと認めるのが相当である。

4  なお、念のため付言するに、控訴人らの本件各請求(但し、主位的請求と予備的請求とがあるものについては、いずれも主位的請求)は、控訴人両名がそれぞれ被控訴人会社の株式一万〇四四〇株を現に保有していることは必須の理由とするものではあるが、坂口重雄が同会社のその余の株式一万五一二〇株を現に保有しているか否かは右各請求と何ら関係がないから、仮に坂口重雄が、被控訴人の主張するとおり、当初同人が保有していた被控訴人会社の株式の一部をその後譲渡等により他に移転しており、その結果、坂口重雄及び控訴人両名以外の第三者がその株式を取得して被控訴人会社の株主に加わっている事実が認められるとしても、そのことは、控訴人らの本件各請求の結論に何ら影響を及ぼすものではない。従って、右事実の有無は本件訴訟において判断する必要はないというべきである。

四  被控訴人会社の控訴人両名に対する態度

しかるに、被控訴人会社は、昭和六二年に本件各訴訟が提起された後においても、控訴人両名がそれぞれ同会社の株式一万〇四四〇株を保有する株主であることを争うとともに、控訴人両名からの請求があるにもかかわらず、同人らに対し右各保有株数相当の株券を発行せず、かつ、その株主名簿上に控訴人両名が右のとおりの株式を保有する株主である旨の記載をすることを拒否していることは、当事者間に争いがない。(もっとも、被控訴人会社も、控訴人両名に対し、それぞれ六九九〇株の限度で株券を発行する義務のあることは認めており、これを認容した原判決に対する控訴の提起はしていない。)

五  本件決議の存在及びその取消事由の有無

被控訴人会社は、昭和六二年四月一〇日に臨時株主総会を開催し、坂口ゆり、坂口真理子、中谷隆吉及び和田有三の四名を新しく取締役に選任する旨の本件決議をし、同月一七日にその旨の登記を経由したこと、本件決議に当り、控訴人両名はいずれもこれに反対する旨の議決権を行使したが、右株主総会においては、本件決議が賛成多数として処理されたこと、右株主総会の招集手続及び本件決議の手続においては、控訴人両名がいずれも六九九〇株の株式を保有するにすぎない株主として取り扱われたことは、いずれも当事者間に争いがない。

しかしながら、前記の認定事実からすれば、控訴人両名は、右株主総会開催の当時も、それぞれ被控訴人会社の発行済み株式総数三万六〇〇〇株のうち一万〇四四〇株を保有する株主であったのであるから、もし控訴人らが右株主総会においてそのような株式を保有する株主として取り扱われていたとすれば、本件決議は反対多数として否決されたものというべきである。

そうすると、右株主総会の招集手続及び本件決議の手続には同決議の取消事由となるべき瑕疵が存在することは明らかである。

六  本件決議の取消しの利益

昭和六二年四月一〇日の臨時株主総会において選任された前記の四名の取締役の任期は、商法二五六条の規定により、すでに終了していることは明らかである。しかしながら、被控訴人会社においては、その後新しい取締役の選任手続がなされていないため、右四名の取締役は、商法二五八条の規定により、現在もなお取締役としての権利義務を有することは、当事者間に争いがない。従って、本件決議は、現在でもその取消しを求める利益があるものというべきである。

七  株主名簿上の記載未了の抗弁の成否

被控訴人は、抗弁として、控訴人らは、被控訴人会社の株主名簿上、いずれも六九九〇株の株主であることの記載があるにとどまり、それぞれが一万〇四四〇株の株主であることの記載はないから、被控訴人に対し、控訴人らがそれぞれ一万〇四四〇株の株主であることを対抗することはできない旨主張する。そして、前掲≪証拠省略≫によれば、被控訴人会社の株主名簿上においては、昭和五〇年六月以降、控訴人らはいずれも六九九〇株の株主であると記載されているにとどまり、同人らがそれぞれ一万〇四四〇株の株主であることの記載はないことが認められる。

しかしながら、控訴人両名は、いずれもその保有する一万〇四四〇株の株式を被控訴人会社の設立又は新株の発行に伴い原始取得したものと解すべきであって、株式の譲渡等により承継取得したものと解すべきでないことは、前記の認定、判断に照らして明らかであるから、控訴人らの株式の保有は、本来、被控訴人会社の株主名簿上にその旨の記載がなくても、被控訴人に対抗し得るものというべきである。

のみならず、前記の認定事実によれば、少なくとも昭和四八年一二月三〇日ころ以降においては、坂口重雄及び控訴人両名の実質上の株主間の合意により、坂口重雄が発行済み株式数の四二パーセント、控訴人両名がそれぞれ同株式数の二九パーセントの割合で被控訴人会社の株式を保有することとなり、被控訴人会社は、その後昭和五九年度分まで、右合意に基づく配当割合に従い、右三名に対する利益金の配当を実施してきたのであるから、被控訴人会社ないしその代表取締役である坂口重雄は、控訴人両名が少なくとも昭和四八年一二月三〇日ころ以降同会社の発行済み株式のそれぞれ二九パーセント、すなわち一万〇四四〇株の株式を保有する株主であることを十分に承知し、かつ、そのとおりに処遇していたものである。更に、前記の認定事実によれば、被控訴人会社の代表取締役である坂口重雄は、弁護士も立会していた昭和六一年一二月一七日開催の取締役会の席上においても、控訴人両名に対し、同人らが右日時現在被控訴人会社の発行済み株式のそれぞれ二九パーセント、すなわち一万〇四四〇株を保有する株主であることをはっきりと承認しているのである。しかるに、被控訴人は、前記のとおり、控訴人両名がそれぞれ同会社の株式一万〇四四〇株を保有する株主であることを争うとともに、右両名からの請求があるにもかかわらず、同人らに対し右各保有株数相当の株券を発行せず、かつ、その株主名簿上に右両名が右のとおりの株式を保有する株主である旨の記載をすることを拒否しており、そして、被控訴人のそのような態度を正当とすべき事由があることについては、何ら主張、立証していないのである。そうすると、このような事実関係の下においては、控訴人両名が被控訴人会社の株式の原始取得者であるか、承継取得者であるかを問わず、控訴人両名は、被控訴人会社の株主名簿上にそれぞれ一万〇四四〇株の株主であることの記載がなくても、被控訴人に対し、右のとおりの株式を保有する株主であることを当然に対抗することができるものと解すべきである。

従って、いずれにしても、被控訴人の右抗弁は、その理由がなく、採用することができない。

八  結論

以上の次第であって、控訴人両名の被控訴人に対する本件各請求(但し、主位的請求と予備的請求とがあるものについては、いずれも主位的請求)は、当審で追加した請求をも含めて、いずれもその理由があるというべきである。

よって、控訴人両名の本件控訴(但し、主位的請求に関するもの)及び当審で追加した請求(但し、主位的請求)を認容する

(裁判長裁判官 奥村長生 裁判官 渡邉等 柴田寛之)

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